童話(絵本)と子供
うちの子が1〜2才の頃、熱心に絵本を読んでた。
特に「ノンタン」シリーズは、明らかに他の絵本とは食いつきが違っていて、何度も何度も読むように親はせがまれたものだった。
そろそろ4才になる今でも絵本大好きっ子で、親としても嬉しいんだけど、どうして字もわからない、言葉も少ないあの時期ノンタンだったのか?それがとても不思議だった。ノンタンは大人が読んでもかなり面白いのもさらに不思議だった。
とか考えているうちに、子供は大人と比べると知識が少ない分、ピュアというか、大人には通じるテクニック(パロディとか)が効かないこともあるはずなので、もっと低レイヤーな技術が使われているんじゃないかと考えた。
誤解を恐れつついえば、Javaみたいな高級言語は理解できないけど、アセンブラみたいな低級言語を理解するのが子供みたいな。。違うか。
きむら式童話のつくり方
そこで絵本や童話の書き方について書かれた本を何冊かあたってみて、当然夢や希望にあふれた子供のための絵本作りを提唱する本がある中、これはと思ったのが木村裕一氏というミリオンセラー童話作家の(キム兄じゃなくて、
あらしのよるに
の作者)が書いた「
童話のつくり方 (講談社現代新書)
」という本。木村氏は「子供のため」に書いてはいけないという。
「子供のため」と言えばなんとなく聞こえはいいが、大人が「君たちは子供だからこういうものを喜ぶんだろう」みたいな与え方をするのは、かえって子供をバカにしているように思う。それは、文字通り「子供だまし」というものだ。子供だましは必ず子供に見抜かれる。(P19)
Oh..親としてちょっと耳が痛い。。でもこういう考え方は宮崎駿やスティーブ・ジョブズが持っていた仕事に対する考え方と同じだ。駿はコクリコ坂の試写会で、主人公の海ちゃんが階段を駆け下りるシーンを見て激怒したという。膝が曲がっていない描写が人間の骨格としてありえないらしく、アニメーターの力量と恐らく気づかなかった吾郎にたいして怒っていたようで、「そういうところを客に見抜かれる」と言っていたらしい(ソースは
ここなので信ぴょう性はわからないけど言いそう)。ジョブズはユーザーが普段見ない基板の美しさにまでこだわったし、Apple Storeのドアノブのデザインに、納得するまでものすごい時間と金をつぎこんだらしい(NHKのクローズアップ現代で元日本Appleの社長が言ってた気がする)。
木村氏もまた子供をお客さんとして、最大限楽しませることを信条に童話を書いているようだし、さらには
自己満足のために書くのなら、特別なことをしなくてもそのままでオーケー。次に、それをどうしたら他の人が読んでもおもしろい作品になるように書けるのか。その方法を、これから具体的に考えていこうと思う。(P26)
他の人を喜ばせる方法論まで教えてくれるという、絵本や童話はセンスだけで書かれていると思いがちだけど、子供が喜ぶ方法論に基づいて書かれている童話もあるんだ。そして童話とか読んだことないと言いはる著者がミリオンセラーの童話をどういう手法で生み出しているのか、童話を書く予定が無くてもちょっと知ってみたくなるわ。
童話の「質」とは何か?
何度も読み返したくなる本にはストーリーや構成とは別の「読む快感」を持っていると木村氏は言う。以下引用。
繰り返しとリズム
「繰り返し」が実は、「おもしろい」という感覚を、ダイレクトに呼び起こす働きをするからだ。
子供の本に出てくる文は、必ず繰り返していく。はじまりは同じだが、ただ繰り返していればいいってものではない。また同じかなと思うと、「ちょっと」違っている、そこにおもしろさがあるのである。(P106)
引っ掛かりと逆転
文章に快感を生み出すために欠かせないものがある。それは言ってみれば「引っ掛かり」。
引っかかるところが必要なのである。流れというのがあるのだけれど、最後まで流れちゃうとなにも残らない。流れの中で、四分の三ぐらいにちょっと引っ掛ける。その引っ掛け方がポイント。(中略)構成の上で、「逆転」を非常に効果的に使っているものといえば、なんと言っても時代劇だろう。遠山の金さんにしても水戸黄門にしても、ある瞬間にすべてをひっくり返すところが快感な訳だ。追い詰められて追い詰められて、とことん追い詰められたのを全部ひっくり返す。それを見た途端に、相手の今までの価値観が全部ひっくり返る。その瞬間の快楽のために、耐えて耐えて耐えているのだ。そういう快感が引っかかりの快感、逆転の快感である。(P108)
本を読む快感
親は子供に「ためになる本」を与えようとしがちだ。しかし、ボクはこの「ためになる」という言葉にすごく違和感がある(中略)もう一回この本を読みたいなと思う時には、そういった類の快感がそう思わせていることが多い。大人も理屈ではないのである。(P110)
引用が長くなってしまった、どうも人間は繰り返しから生まれるリズムや、反復から生まれる流れに耐えて耐えて引っかかる(逆転される)のが好きな生き物なようだ。
これはグラフィックデザインにも言えることで、決まりごとを繰り返す「
反復」、異なる要素の間で作り出す「
コントラスト」はデザインの基礎原則だと、非デザイナー向け定番書の「
ノンデザイナーズ・デザインブック
」にも書いてある。グラフィックデザインもまた人間の認知を利用して、
人間の目に効果的に飛び込んできたり、理解させやすくするものだと思うし、グラフィックデザインも童話も共通点がありそう。
「0才〜3才までの子供は、人間の持っている一番プリミティブな部分で生きている。実はそこに大人になっても持っているものの原型がある。そういう意味では赤ちゃんは人間の原型だから、赤ちゃんが喜ぶものを見れば、そこに大人まで通じる作品のヒントがあると思うのだ(P102)」
この考え方は童話だけじゃなく、世の中のあらゆることに云えることだなぁ。どうしてハリウッド映画はあんなに観客を惹きつけるの(異論反論あるだろうけど)?とか、祭ばやしを聞くと身体が勝手に踊りだすのは何で?とか、誰でも考えたことあると思うけど、そのヒントは「人間のプリミティブな部分」にありそう。
童話とソーシャルゲームの共通点
例えば、「人間のプリミティブな部分」を利用している最近の例はソーシャルゲーム。
ソーシャルゲームをプレイしない人間の発想なので、間違った認識かもしれないけど、単純なクリックの繰り返しから変化を生み出したり、小さくユーザーに快感を与え続けたりすることで、ユーザーのゲームプレイにモチベーションを与えて、持続させて、プレイヤー自身はなんかよくわかんないけど面白いと感じる状況を作っているものだと思っている。
ガチャガチャも、ありふれたカードが出てもいつか珍しいカードが出るという事を知っていて、またそのカードでゲーム状況をいっぺんに良くできることもユーザーは理解しているので、その逆転の快楽を味わうために耐えて耐えてができる。(耐えられない人はお金払うことで珍しいカードが出やすくなる仕組みもあるんだよね?)
もちろんソーシャルゲームのおもしろさは、そんな簡単な事じゃないとは思うけど、ゲーミフィケーションが、人間のプリミティブな快感を利用するテクニックをゲームで体系化したものと云えるなら、やっぱり童話と共通していると思う。
個人的な意見だけど、人間のプリミティブな快感をパターン化して、応用して、ユーザーを動かして、お金も入ってきて、作り手は楽しいと思う。
最後に
「
きむら式童話のつくり方
」は童話や小説に限らず、いろんなモノづくり、あらゆる物事に応用できる考え方がたくさん書いてあって、しかも流石売れっ子の童話作家だけあってわかりやすく退屈せずに読める本だった。
生活してて目に付くものに対して、どんな人間の快感のツボを押しているのかな?という事を考えながら過ごしていると、これ考えた人はすごいわ〜みたいな発見があって面白いし、自分が何か作る時に応用できると思う。
「子供の読む童話を方法論で生むなんてクリエイターとは言えない」と思う人もいるとは思うけど、そうではないよ、という木村氏の持論も本書の最後の方でちょろっと書かれている、説得力あると感じたので自分がもし同じような批判をされたらパクろうと思った。
興味を持たれた方、ご一読をオススメできますよ。
Robin Williams 毎日コミュニケーションズ 2008-11-19