UXDを理解しようと思った時の表層感
最近UX(ユーザーエクスペリエンス)やUXD(ユーザーエクスペリエンスデザイン)という言葉を良く耳にします。
iPhoneやiPadといったApple製品から感じられる優れたデザインや素晴らしい体験、Instagramなどのコンセプチュアルなアプリのヒットから、ほとんどのWebに携わる人の間に独りよがりなプロダクトはユーザーに届かない=売れない、という事を実感させているのだろうと思っている。
UXという言葉は、ヤコブ・ニールセン氏の「ユーザービリティ」や「ユーザー中心設計」、ドナルドノーマン「誰のためのデザイン?」などの延長であると想像できる。
そこでUXに関する本を手にとって見たり、Webで閲覧できる情報を読んでみたりしても、概念がわかりづらいと感じた。恐らくだがUXとはテクノロジーとユーザーのコミュニケーションに関する研究の総合的な考え方であって、先人たちが体系化しているものの、そこだけ読み取ろうとしても、彼らの思考やプロセスのウワバミしか掬えていないようなのだ。
このどこか、わかったような気になったり、鵜呑みにしてしまったり、全然頭に入らなかったりする表層感を持ったまま、UXを勉強したり語ったりするのは、効率が悪いし、なにしろ恥ずかしい。
ではこの僕のUXに対する表層感をどうすれば払拭できるのか?もっと深く潜っていくことができるのか?それがここしばらくのテーマであり、この記事の主旨です。
UXとは何か?の仮説を考える
僕はUXを知るために、仮説を立てることにしました。
そしてUXとは「テクノロジーとモニターを介して、円滑なコミュニケーションを図ろうとする考え方」だろうと仮説を立てました。
「円滑なコミュニケーション」ならサンプルは日常のあらゆるところに存在しています。礼儀作法だったり、性交渉いわゆるセックスだったり、音楽、漫画、俳句、小説、建築デザイン、インフォグラフィック・・と、生活の中でコミュニケーションと関わりのないものを探すことの方が難しいくらいなので、特に自分が好きで勝手に分析したくなるジャンルや人からいくつかサンプルを抜き出してみて、UXとの共通点をつなげて、補助線を引くことでUXの理解を深めていこうと思う。
ここでは、僕の好きなコミュニケーション上手だなぁと思う人や作品、落語の故立川談志師匠、アニメーションのピクサー、ニュース解説者の池上彰氏をサンプルとしてみようと思う。
立川談志の落語の「間」とUX
昨年亡くなった立川談志師匠。死んで尚戒名で笑いをとりにいくという姿勢に、コメディの本質を見せてもらえた気がしました。
そんな談志師匠の落語とUXにはすごく類似性があるように思っています。
「落語ってなぜおもしろいのだろうか?」そんな事を思いながら、日本人なら誰でも知ってる「饅頭こわい」の動画を観てみました。
途中で袖裏で鼻をかんだり、普通はまくらからスムーズに演目に入っていくものなのに、「饅頭こわいって落語やるからね」と宣言してから始めたかとおもいきや「今度はお茶がこわい!」といきなり落ち(サゲ)を言ってしまったり。滅茶苦茶です。
「饅頭こわい」の落ちは結構多くの日本人が知っていると思います。ましてや寄席に来ているお客さんは何度も何度もいろんな噺家の「饅頭こわい」を聞いてきている。そのお客さんをよく理解して「落ち」を先に持ってきてしまえるのは、滅茶苦茶なようでいて、よくお客さんを知っているからこそできる間の良さを感じます。
落ち(サゲ)というゴールにたどり着くまでに、飽きさせないように、お客さんを心地よく連れていこうとするために、噺家の人は何をして何を考えているのか?UXと同じテーマがここにあるのがわかります。
ピクサーのアニメーションの「演出」とUX
多くの人の心を掴んで離さないCGアニメーション作品を世に送り続けるピクサー。
「ピクサーの作品は何故おもしろいのだろうか?」そんなことを考えながら、「カールじいさんの空飛ぶ家」の台詞なしの印象的なシーンを観て見ました。
台詞は一切ないにも関わらず、二人の幸せな生活、二人の関係、二人の夢と絶望と新たな夢、時間の経過、「なぜカールじいさんが風船で家ごと旅に出なければならなかったのか?」という理由をカメラワークやレイアウトを駆使して説明しきっています。
例えば、いつも先頭に立つのは妻エリーでした。若い頃は丘に登るのも妻が先です、しかし年老いて同じ丘を同じ構図で登るときはカールじいさんが妻エリーを見迎える構図になります。あれだけ冒険に行きたいと思っていたエリーにはその体力がもう残されていなかったということがわかる象徴的な対比の構図だと思います。そこには観客にスムーズに物語に没入してもらおうという演出家の配慮さえ伺えます。
映像表現ではカメラワークやレイアウトにパターンがあり、それらを効果的に使うことで、観客の心を動かしている、感じさせているということがアニメーションを分析することでわかります。
UXでも、この機能はユーザーにどんな感情を抱いて欲しいのか?というようなことを深く分析した上で、UXデザインの文脈を利用できるかできないかで、大きな差がつく、そう思えます。
ニュース解説者の池上彰の「わかりやすさ」とUX
そして最後に池上彰氏です。なんで最後なのかというと、僕が考えて言いたかったことなんて、全部この後紹介する動画で池上さんがわかりやすく言ってるからです。
僕はニュース解説者の池上彰さんが好きです。中東問題について知りたいと思った時に手に取った本が池上さんの本で、あまりのわかりやすさにそのシリーズを全部買って読みました。普段ニュースで聞くとミクロな話ばかりで全体像が掴めなかったのに、歴史的な流れや地理的な状況を俯瞰で中立的に説明してくれるため、すんなり頭に入ってきて、自分にも理解できるんだとほっとしました。
そんなわかりづらいことをわかりやすく説明するのが上手い池上さん、「彼はなぜわかりやすく解説できるのか?」そう考えて著書を読むにつけ、わかりやすさへのこだわりが見えてきました。
キーワードは「伝える・想像力・思いやり・観察力」。
相手に伝わるということは、それだけ相手をよく理解しているということ、理解しているということは相手を想像しているということ。その想像力は相手への思いやりの気持ちから養われ、思いやりを発揮するには観察力が必要だと池上氏は言っている。
わかりやすく説明しようと思う気持ちの裏には、「わかるひとが増えることで世の中が良くなるかもしれない」という使命感を自分の中に持ち、その使命感を思いやりのエネルギー(=モチベーション)に変えているということがわかる。
「わかりやすい」ということはUXでも大事にされる考え方。しかしただわかりやすいではなく、そこに使命感が「わかりやすさ」への動機づけになっているようなのだ。
まとめ
上記のように、日常に転がっているあらゆる物事に「コミュニケーション」は存在し、UXに繋がるヒントが潜んでいることのサンプルと自分なりの考えをまとめてみました。
僕は『UXとは「テクノロジーとモニターを介して、円滑なコミュニケーションを図ろうとする考え方」』と仮説を立てましたが、少し考えを変えました。『UXとは使命感を持ち、対象をよく観察し、インターフェイスで体現すること』と少し理想論的な考えに傾きました。
僕達の仕事だと、実在のユーザーにお目にかかれる機会はあまり多くない、だからこそもっと想像力を働かせて相手を観察することに力を注がなければならないと思う。そして一体何を相手に伝えたいのか?そのメッセージは一体何のために伝えたいのか?そしてそれを画面を通じて感じさせるには何ができるか?そんなことを考えた上で、UXのアプローチを勉強すれば、より深い理解を得られるかもしれない。
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参考図書や映像
これで池上さんにハマりました。とても易しい世界史本です。
池上さんの「わかりやすさ」シリーズ。
ディズニー ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント 2010-04-21
ピクサーの作品はどれを観てもおもしろいです。映像の素晴らしさもそうですが、脚本の筋道の完ぺきさ、演出の巧さはタメになります。